人生の谷をどう乗り切るか

夫がうつ病になり共倒れしたところから復活を目指す記録

【夫婦うつ病で共倒れ】③周囲には強がって普通に振る舞う

2017年11月、夫は心療内科を受診し抑うつ状態であるとの診断が下りました。

夫はそのまま休職しました。

今度は私が体調を崩すまでについて書きます。

 

 金銭面は夫の傷病手当があり、私も働いているため心配はありませんでしたし、貯金も今まで通りできると計算はできても、夫が休職した事実、おそらく復職はしないと思っていたので転職の不安、夫婦の将来設計が狂った焦りから精神面で私は不安定になっていました。

 

私にとって一番の毒は、

・周囲と比べること

・将来を悲観的に考えすぎてしまうこと

でした。

 

うつ病に有効と思われるサプリをネットで買い漁って安心してみたり、うつ病に完治はなく寛解するものだと知って絶望したり。

調べた情報に一喜一憂し、感情の波が忙しかったです。

情報を見て理解したつもりでしたが、当時の私は完璧には現状を受け入れられていなかったんだと思います。

 

また、なるべく人に会うようにし、信頼できる人には現状を話すようにしていました。

これは母が精神を病んだ時、人にはほとんど話さず自分の殻に閉じこもってしまった結果、さらに辛くなるという悪循環を経験したことから行った行動でした。

しかし、人に話すことは救いにはならず余計強がる自分を作るだけでした。

 

それはなぜか。

 

母や義母、親友などに現状を説明します。

だけど、相手にびっくりされたり不憫に思われるほど、私がしっかりしていれば大丈夫だよと強がって言ってしまうんですね。

お金は私が働いていれば大丈夫、むしろ働くことが気分転換になる、長期戦になると思うがとにかく私がしっかりしていれば大丈夫、そういう風に言っていたと思います。

 

 たしかに、夫はうつ病なのによくやってくれていました。

幸いに寝込み続けるということはなく、弱っていながらも家事はやってくれ、自分でもうつ病が回復するよう散歩したり努力してくれていました。

母の時と比べても格段に病状が軽く見えました。

 

だから大丈夫。

根拠があるようで無い自信で毎日乗り切ろうと私も頑張っていました。

 でも本当は毎日悲しくて情けなくて惨めな気持ちでいっぱいだった。

 

なんでこんなことになってしまったのか。

新婚て幸せなはずじゃないのか。

どうして2度も身内のうつ病を経験しなくてはいけないのか。

 

こんな考えが毎日毎秒ぐるぐる巡るのです。 

そして私は夫に辛く当たるようになってしまいます。一番してはいけないことをしました。

「こんなことになったのはあんたのせいだ。なんで働けないの。」と責め立ててしまうのです。

夫はこんな悪魔のような私の隣でよく生きていてくれたと思います。今思えば奇跡です。

 

 

2018年1月、朝起きて支度をして出勤して働いて帰宅する、普通の毎日を自分なりに送っていましたが、張り詰めていた糸がプツンと切れてしまいました。

 

「がんばって毎日真面目にやってても報われないんだ。」

「人間は平等ではない、分かってはいるけどなぜ私ばかり」

「こんなんで将来どうなるの。」

 

そう考えたら涙が止まらなくなって動けなくなってしまいました。

その日私は会社を休みました。

 

私はしっかりしなきゃ普通にしなきゃと焦る気持ち、

なんで周りみたいに新婚生活を楽しく遅れなかったのかという惨めな気持ち、

会社が嫌な訳ではないのに休んでしまった罪悪感、

様々な考えと気持ちが浮かんでは消え私を追いつめてきます。

人って1日中ずっと泣き続けることができるんですね。

涙が枯れることはありませんでした。

 

次の日また次の日も泣いてました。

こんな状態が1週間続き、会社も1週間お休みをいただきました。

完全に私もメンタルをやられていました。

ですが、すぐに病院に行くことはしなかったのです。まさか自分が躁うつ病になるなんて思ってもみなかったのです。